【廃線ウォーク】信越本線 碓氷峠人力踏破VOL.3

前回からの続きです。

前回は峠の湯からアプトの道を別れ、
信越本線碓氷新線下り線に突入し、
お待ちかねの廃線跡を歩きながら、
新碓氷川橋梁を渡って、
横川〜軽井沢で唯一の平坦区間である
旧・熊ノ平信号場まで登ってきました。

▲熊ノ平信号場

ここから先は、
また急勾配の坂を登って
終点の軽井沢を目指して
歩いていきます。

っと、その前に。
この熊ノ平について
ガイドの方から勉強になるお話を
聞いたので、
ご紹介したいと思います。

皆さんは童話『もみじ』はご存知でしょうか。
高野辰之(1876〜1947)が作詞した歌です。

小学生の時に音楽の授業などで
聞いたり歌ったりしたことがある人も
多いと思います。

秋の夕日に〜♪ 照る山紅葉
濃いも薄いも 数ある中に〜♪
松をいろどる 楓や蔦は
山のふもと〜の 裾模様♪

ハーモニーで歌ったりしましたよね。

この歌に出てくる
「照る山紅葉」はこの熊ノ平から
見えた山の紅葉を見て作詞されたそうです。

この熊ノ平は、
先ほどは熊ノ平“信号場”と明記しましたが、
アプト式で運転されていた時代は、
熊ノ平“駅”として営業していました。

横川から登ってきた列車が
熊ノ平に停車している際、
奥の山の紅葉に
夕日が当たっている光景を
見た高野辰之が、
その美しさに心を惹かれて作詞したそうです。

今回は曇っており
紅葉の時季にも少し早かったので、
山は色付いていませんでしたが、
紅葉シーズンにはとっても綺麗な山になるそうです。

熊ノ平ではないのですが、
別の日に撮影した紅葉の碓氷峠の写真があったので、
紅葉した山々の景色をご覧ください。

▲紅葉した山々と新碓氷川橋梁

イメージとしては、
こんな感じの山肌に夕日が当たって
赤々と色付いていたのではないでしょうか。

ちなみに、
廃線ウォークでは新碓氷川橋梁の上に出てしまうので、
橋全体の姿を見ることはできませんでしたが、
横から見るとこんな感じのアーチ橋でした。

これは、アプトの道にある
碓氷第三橋梁(めがね橋)の上から撮影しました。

めがね橋の写真も
『今週の1』で紹介したので
ご覧ください。

リンク:【今週の1鉄】紅葉の碓氷第三橋梁

さて、再び廃線ウォークに戻ります。

熊ノ平までは2号トンネルや3号トンネルといった
長いトンネルで山を貫通してきましたが、
ここから先は、
短いトンネルが連続する形で峠を登っていきます。

と言うのも、熊ノ平から先は
アプト式で使われていたルートの一部を
利用する形で新線下り線を敷設したため、
トンネルを出たり入ったりの連続になるのです。

トンネルの個数は上り線よりも7つも多い
18個もあります。

▲下り線4号トンネル内にる66.4パーミル勾配標

熊ノ平信号場からは再び急勾配で登って行きます。

前回でも書きましたが、
碓氷峠は最大勾配66.7パーミルで有名ですが、
66.7パーミルが存在するのは上り線のみで、
下り線の最大勾配は66.4パーミルです。

パーミルというのは鉄道の勾配で使われる表記で
記号では‰と書きます。
これは水平距離1000メートルに対して
垂直距離に何メートルの高低差があるかを表す意味になります。

例えば、20パーミルの勾配なら
水平距離1000メートルに対して、
20メートルの高低差がある勾配を指します。

碓氷峠では国鉄・JR日本一の急勾配区間でしたから
水平距離1000メートルに対して、
高低差が最大で66.7メートルにもなる勾配があったという事になります。

▲60パーミル超えの勾配

vol.1でも記載しましたが、
60パーミル超えの勾配を横から見るとこんな感じです。

数学が得意な方なら
66.7パーミルの勾配の角度を計算で
求めることができると思います。

実際にやってみると、
tanθ=66.7/1000となり、
タンジェントの逆関数で角度θが出るので、
電卓なり、手計算なりしてやれば、
なす角θは3.8159…となり
おおよそ3.8度の勾配であることが判ります。

ちなみに、現役時代は
この碓氷峠は最大12両編成の「あさま」号が走っていたので、
列車1両の長さは20メートル、
12両編成では240メートルになるので、
列車の先頭と最後部では
高低差がおおよそ16メートルあった計算になり、
4メートル/階の建物で換算計算すると
4階建のオフィスビルに相当する高さになります。

さらに横川方にEF63電気機関車を2両連結していたので、
その長さも加味して計算すると
EF63の全長は18.05メートルなので、
2両で36.1メートルとなり、
12両編成の特急と連結すると
全体の長さは276.1メートルなります。

そこから計算すると
例えば横川から軽井沢に向かう下り列車では、
前方の確認・信号歓呼などを行う「あさま」の運転手と
列車全体の運転制御をおこなうEF63の運転手との高低差は
なんと18メートルにもなります。

この勾配が横川〜軽井沢までの
11.2キロのほとんどを占めていたことになります。

実際に歩いて、
さらに計算してみると碓氷峠の勾配が
いかに凄まじいものであったのかを知ることができます。

さて、下り4号トンネルを抜けて
さらに進んでいきます。

▲左:下り線5号トンネル、右:上り線4号トンネル

右手に上り線を見ながら廃線跡を歩いて行きます。
下り線と上り線でトンネルの個数が違うので、
同じ区間でもトンネルの番号が違っています。

木々が架線柱に忍び寄っていますが、
さすがは元特急街道の幹線というだけあって、
廃線から23年が経過した現在でも
鉄道設備はしっかり残っています。

▲下り線5号トンネル入り口

▲下り線5号トンネル内から軽井沢方面

5号トンネル内からは
線路内に忍び寄ってきた木々の先に
6号トンネルの入り口が見えます。

熊ノ平から先は
短いトンネルが連続しています。

▲下り6号トンネル〜7号トンネル間

▲架線柱に纏わりつく木々

▲下り6号トンネル〜7号トンネル間

この辺は木々の成長具合がすごいです。

▲野生動物の糞(7号トンネル内)

自然の猛威が凄くなるのと同時に
トンネル内には野生動物の気配も感じられました。

この先もどんどん歩いて
軽井沢を目指したいところなのですが、
実はこの先の下り線9号トンネル周辺が
去年(2019年)の台風19号の影響で
被害を受けたらしく、
歩くことができないため、
7号トンネルを越えた先の
8号トンネルと9号トンネルは迂回して
上り線に移動して歩くことになりました。

▲下り線(左)から上り線(右)へ移動

被害内容としては、
この先の下り線9号トンネル出口(軽井沢方)にある
沢が台風19号(2019年)で氾濫し、
沢の水がトンネル内に流れ込み
バラストを押し流してしまったそうで、
現在レールが宙に浮いている状態に
なってしまっているのだそうです。

またこのエリアは、
今回の台風被害だけでなく
新線敷設の工事の頃から
落石等が多く頻発していた場所らしく
トンネル口には落石対策として、
コンクリートで周囲を囲い込むように
ガードが設置されています。

▲上り線7号トンネル(横川方)

上の写真の通り
トンネル口部をコンクリートのガードで覆い
落石や斜面崩落から線路を防ぐように建設されています。

▲被害を受けた下り線9号トンネル入口付近の様子(上り線側より)

上り線7号トンネルを抜けると
被害があった下り線9号トンネル入口が木々の奥に見えました。
バラストなどが流されて
レールや枕木が剥き出しになっています。

▲信越本線の高崎起点のキロポスト(上り線)

上り線8号トンネルを抜けると
すぐ先には、木々の奥に上り線9号トンネルが見えています。
上り線を軽井沢方面に向かって歩いているので、
本来列車の向きとは逆に進んでいます。

上の写真にあるように
37と1というのは距離標のことで
キロポストとも呼ばれています。
信越本線の起点は高崎からなので、
この場所は高崎より37キロと100メートルの地点になります。

だいぶ歩いてきました。
ちなみに横川駅は高崎から29.7キロなので、
7.4キロ歩いた計算になり、
碓氷峠の全行程が11.2キロなので、
軽井沢まではあと3.8キロという計算になります。

こんなふうにキロポストを
見ながら歩くのもなかなか楽しいですね。

このまま上り線9号トンネルに、、、
ではなく、ここからはまた本来の下り線に戻ります。

▲上り線に別れを告げて下り線へ

下り線に戻る際に振り向きざまに
先ほどいた上り線を撮ってみました。

そこには小さな沢が流れており、
この沢が氾濫を起こした例の沢です。

▲氾濫した沢

同じ場所から今度は下り線にカメラを向けて撮りました。
水の威力で周囲の土を抉り取った跡と
流されてきたであろう流木が放置されていました。

▲被害を受けた下り9号トンネル(軽井沢方)

▲宙に浮いてしまったレール

先ほどの沢が氾濫を起こし、
流れてきた水が下り9号トンネル内に侵入、
バラストなどを押し流してしまったとのことです。

ガイドの方曰く、
専門の業者に見てもらったそうですが、
修繕費用に8000万円も掛かるそうで、
金額が金額なだけあり、
現状行き詰まっているそうです。

▲アプト式時代の橋梁

下り線9号トンネルと10号トンネルの間には
アプト式時代に利用されていた煉瓦造りの橋梁も残っていました。

▲国道18号碓氷峠旧道(同じ場所より)

この場所からは国道の碓氷峠も見えました。
碓氷バイパスの新道18号が出来てからは
こちらは旧道になってしまいましたが、
自転車の人やドライブを楽しむ人たちが利用しています。

ちなみにこの場所はC128のポイントです。

▲アプト式時代の橋梁と碓氷新線下り線

新旧が並走している区間です。
今ではどちらも廃線になってしまいましたが、
こうして見ると碓氷新線の方は現役の線路のようにも見えます。

ちなみに道路の碓氷峠は、
鉄道がアプト式で運行されていた当初は、
この橋のアーチを一回潜って奥に行ってからカーブして、
もう一度橋を潜って抜けていたそうです。

現在では橋を潜ることはなく、
写真で紹介したように手前で大きくカーブしています。

これは碓氷新線下り線を敷設する際に、
道路が邪魔になったため、
道路を手前で大きくカーブさせて、
その跡地に下り線を造って現在の形になったそうです。

そのため、この場所では、
新線やアプト式といった鉄道の遺構だけでなく、
道路の碓氷峠旧道の跡も見ることができるポイントになっています。

▲碓氷新線下り線とアプト線跡

奥にはアプト式時代のトンネルも見えます。
奥のトンネルは横川方面です。

右側が木で隠れていますが、
写真右側に道路の碓氷峠もあります。

上の写真でもう一度説明すると、
右からきた道路は、
いま私が立っているアプト式時代の橋を潜って、
アプト式時代には無かった
左側の新線下り線を越えてカーブして、
もう一度アプト式の橋を潜り返していたということになります。

▲アプト式時代のトンネル跡と下り線10号トンネル

先ほどの場所から後ろに振り返ると
アプト式時代のトンネル跡と下り線10号トンネルがあります。

横川〜熊ノ平の間では
碓氷新線とアプト式の線は大半が別ルートだったので、
アプト式時代の遺構(アプトの道)が多く残っていましたが、
熊ノ平から先の軽井沢区間では、
碓氷新線下り線を建設する際に
アプト式時代のトンネルやレンガを崩して
旧線ルートの一部を新線として再利用したそうで、
アプトの道ほど旧線時代の遺構は多く残ってはいないとのことです。

▲下り線11号トンネル

10号トンネルを抜けて11号トンネルに入ります。
この11号トンネルの出口には
アプト式時代の遺構を再利用した跡が見られます。

▲煉瓦の法面と付け足したコンクリ(下り線11号トンネル軽井沢方)

ご覧の通り、
アプト式時代の煉瓦造りにコンクリートで出口部分を
延長させた跡が見られます。

これは先ほど上り線7号トンネルでも説明したように、
熊ノ平〜軽井沢の間では
落石や崩落が多かったことから、
アプト式時代からのトンネルの先に
新たにコンクリートで落石をガードするトンネルを
延長させて事故を防ぐように建設されたためです。

▲下り線11号トンネル軽井沢方

法面に対して張り出したコンクリートのトンネルが特徴的です。
横から見ると下の写真になります。

▲下り線11号トンネル軽井沢方(別日撮影)

本来の山の斜面より張り出しています。
コンクリート製トンネルの先の山の斜面に
僅かにアプト式時代の煉瓦造りの法面が見えています。

さあ、残り7つのトンネルを越えて
終点の軽井沢を目指します!!

と言いても
この先のトンネルは、
本当に短いトンネルが連続するだけなので、
次の12号トンネルと最後の18号トンネルのみ紹介します。

▲下り線12号トンネル出口付近(軽井沢方)

この12号トンネル出口からは、
先の13号トンネルとその奥の14号トンネルが
一直線に見えるポイントから
フォトジェニックポイントして
ガイドの方からアナウンスがありました。

確かに碓氷峠では、
トンネルと緩やかなカーブが連続するため
まっすぐに遠くまで見通せる場所って案外少ない感じでした。

そのため、この12号トンネルでは
廃線ウォーク記念撮影会が行われました。

私も記念に写真を撮ってもらいました。
トンネルと線路と一緒に記念写真が撮れるのも
廃線ウォークのイベントならではですね!

この先の13〜17号トンネルも快調に歩き進んで
いよいよ最後の18号トンネルまで来ました。

▲下り線18号トンネル

さあ、いよいよ最後のトンネル
下り線18号トンネルです。
奥には軽井沢の出口の光が見えています。

ここまで歩いてきた感想としては、
正直な話、碓氷峠はずっと山の中を通っているので
「この先のトンネルを抜けると、本当に軽井沢の町があるのか?」って
思ってしまうほど森に囲まれている場所だということです。

そんな気持ちと長かった今までの道のりを思いながら
最後の18号トンネルに入っていきます。

▲群馬県と長野県の県境(18号トンネル内)

いよいよ、長野県に入ります。
碓氷峠の全行程のほとんどが群馬県なので
長野県は爪の先程度のほんの僅かな距離だけなのです。

▲18号トンネル内にある第一閉塞中継信号機

中継進行!!
18号トンネル内にある中継信号機も
3号トンネル同様に点灯できるよう整備したそうです。

▲トンネル補強フレーム

この頭上を北陸新幹線が通っているため
トンネルを強化させるために
上り線下り線のトンネル両方に補強フレームが組まれています。

▲18号トンネル出口付近

最後のトンネルを抜けます。
もうここは軽井沢です。
高原の冷たい風がトンネルの中に流れてきます。

▲急勾配の終わり

すっかり暗くなってしまいましたが、
勾配を登り切った先に第一閉塞信号機の灯りが見えます。

▲第一閉塞信号機 進行信号

宵闇迫る空に軽井沢への進路が許された
進行信号が輝かしく光っていました。
この先はしなの鉄道の敷地に入ってしまうため、
廃線ウォークで行けるのはここまでです。

▲歩いてきた線路を振り返る

廃線ウォークのイベントの最後に
今まで歩いてきた線路を振り返って撮りました。
左が上り線、右が下り線です。

廃線ウォークではここで終了です。
この先は道路を10分程度歩いて軽井沢駅に向かいます。

イベント自体は終了しましたが、
軽井沢駅に向かう途中に
もう一つ寄りたい場所があるので立ち寄ることにしました。

▲旧・矢ヶ崎踏切

軽井沢を出発してすぐのところ横川寄りに
旧・矢ヶ崎踏切があります。

いまはもちろん使われていないのですが、
この踏切もそのままに残されています。

奥には新幹線の保守基地があるので、
踏切を渡った先は進めませんが、
この場所からも廃線跡が見えるので
この機会に訪れてみたかったポイントです。

▲廃線跡と北陸新幹線

横軽の廃線跡を横目に新幹線が颯爽と
東京方面に向けて峠を下って行きました。

▲軽井沢駅の灯り

奥には軽井沢駅の灯りが見えました。
これにて廃線ウォークのイベント全てが終了しました。

今回、廃線ウォークのイベントに参加して
碓氷新線下り線を軽井沢まで歩いてきましたが、
とても充実したイベントでした。

私がこの区間を乗ることができたのは、
廃止の年の9月に一度だけ特急あさまで乗っただけで、
当時わたしは6歳でしたが、
沿線でカメラを向けている人たちの多さは今でも覚えています。

そして、廃線から23年という月日が経ちましたが、
当時の遺構がそのまま残されており、
地元の方を始め、安中市の職員の方や横軽ファン全ての人の
協力で成り立っている場所なんだなっと強く感じました。

さて長くなりましたが、
ここまで読んでくださり有難うございました。

また、イベントに携わってくる全ての方に感謝して
廃線ウォークの記事を終わりにしたいと思います。

どうも有難うございました。

<記事のリンク>
【廃線ウォーク】信越本線 碓氷峠人力踏破VOL.1
【廃線ウォーク】信越本線 碓氷峠人力踏破VOL.2
【今週の1鉄】そこには、鉄路があった。
【今週の1鉄】紅葉の碓氷第三橋梁
廃線ウォークのサイト

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